原点
本当にただ徒然と思ったことを書いているが
これでいいのだ。
このブログを開設した意味としては、自分の頭のログを貯める為である。
その時感じたこと、考えを記録するためであって、誰かに見せる気など、到底ない。
そう、人生はあくまで自己満なのだ。
自分に満足できるか否か。
そう考えるとある意味、外、他社、世界を知らず、井の中の蛙でいる方が比較対象を知らないので
いろんな欲が湧かず、それはそれで幸せなのかもしれない。
ただ、自分の起業を目指す、やりたいことを実現するモチベーションの原点は
やはり違う国の現実を知り、それを肌で感じたことかもしれない。
学生の頃、とある友人からの誘いでカンボジアへのスタディツアーというものに参加した。
それは、ただ単にツアーではなく、現地の数ある問題の解決をビジネスの視点から抜本的に試みている、『かものはし』というNPOの主催する
肌で感じ、学ぶツアーであった。
現地の現実。
それは日本人の大半がある程度メディアや学校教育の中の知識として知っている。
しかし、それを自分の肌で感じたり、解決に向けて何かの行動に移している人はごく少ない。
おれたち日本人は、小学校、中学校という義務教育をどのように過ごしただろうか。
大半のやんちゃぼーずは、勉強をなるべくしないように、しないで済むとようにと必死に趣向を凝らしたのではないだろうか。
勉強だるいなー、めんどくさいなー、宿題やだなー
日本人の義務教育を経てきている人は99%の人間が口にしているといっても過言ではない。
カンボジアでは、その当たり前を根本から覆された。
198年生まれ、当時、自身はハタチ。
自分と同い年の現地の女性と話す機会がそのツアーには設けられていた。
彼女の家は貧しく、中学校を中途退学して、ろくな教育を受けていない。
彼女は、下に6人ほど弟や妹がいて、貧しく、母も足が悪いため自分が働きに出て食べさせなければならない。
涙ぐみながら、彼女はこう話した。
小学校や中学校の勉強がしたい。
今の私の夢は、弟や妹たちが自分と同じ思いをしないで済むように、学校に通わせてあげることです。
今、自分が生きていることがとてつもなく恥ずかしくなった。
世界は本当に不平等である。
もう一度言う。彼女は1988年生まれの同い年。
同じ年に生を受けたが、生まれた国が違うだけでこんなにも違うということを
肌で感じたことが衝撃的で、申し訳なくて、何ともやるせない気持ちになった。
そして、自分たちがどれほど恵まれた環境にいるか、改めて再認識させられた。
そう、自分の原点はここである。
この経験が自分の価値観を大きく変えた。
ストッパーがぶっ飛んだ。
自分たちは、何かを知りたいと思えば、親指一本で調べ、ほんの数秒で知ることができる。
なんでも知れる。
チャレンジしようと思えば何でもできる。
何にでもなれるチャンスもある。
どこへでも行ける。
誰とでも会える。
失敗しても、死なない。
食に困ることなど、よっぽどのヘマをしない限り、まずない。
この環境にいて、その他の環境を知った自分は、したいことをするしかない。
なかば、しないといけない、という義務感さえ覚える。
チャレンジできる環境の自分たちは、チャレンジをし、必ず成功し、還元する義務があるとおれは思う。
それは、あからさまに直接の寄付だったりボランティアだったりではなく、事業を回し、雇用を生み、利益を生み
経済活動に貢献するということ事態でもいいと自分は解釈している。
この価値観も、現実を知らなければ、肌で感じなければ、ここまで考えてはいなかったかもしれない。
この経験を与えてくれた友人に感謝している。